castle 『突然ですがお邪魔します。萌理賞リングでお世話になってますcastleです。
以前トラバさせていただいきましたが、こちらの議論に触発されてこのたびシェアワールドに関するグループを作成いたしました。よってその宣伝をさせていただきたく思います。下記がそのグループとなります。
・sharedworldグループ(http://sharedworld.g.hatena.ne.jp/
理論よりなんとなく実践を! というお気楽路線を合い言葉に突き進むオンライン・シェアワールドノベルについて様々な議論と発表を活動の中心としていく場にしたいと考えています。が、どのように転ぶかはいまのところ皆目見当もつきません。
とりあえずシェアワールドやwebノベルについて関心のある方はどなたでも大歓迎なので、興味をもたれた方はお気軽に参加していただけるとうれしいです。
不躾なコメントで申しわけありませんでした。それでは失礼致します。』

シェアキャラクターで思い出したので投下

そういえば、いしいひさいちから不条理漫画(たとえば『くまのプーたろう』や『うめぼしの謎』など)のキャラクターはシェアキャラクター的だなあと思った。『かりあげクン』も記号化されているのだけれども、違うのは下のような印象がある。

  • キャラクターの「属性」から解放されている
  • キャラクターの「物語」から解放されている

ただ、その一方でほかのキャラクターの「属性」/「物語」度は高くなる(こいつが出てくるとこういう展開が行われる)という側面もある。以前にどこかで「属性は物語の兆候である」という定義を人と話をしたことがあって、どういうことかというと、たとえばツンデレなんかだと、「ツンデレ=こうこうこういう物語の展開」という規定が行われるということ。そう考えてくると「属性」のルーツはこういう不条理系の極端に形式化されたキャラクターに遡れるのかなあと思いました。雑談までに。

[sirouto2]ツンはデレの徴候

>「属性は物語の兆候である」という定義
>たとえばツンデレなんかだと、「ツンデレ=こうこうこういう物語の展開」という規定が行われるということ。
将棋の駒(キャラ)のように動ける範囲が決まることで、局面全体(物語展開)が読めるようになるということですね。そういえば『ゴールデンラッキー』とか、不条理系はキャラが極端に立っていますね。そこでは内面ではなく外見と行動の法則性しか観測者には分かりません。つまり、表層しかない。戻ってツンデレの場合は、その法則性を適度に共感できる範囲に留め、内面を適度に想像(ツンの下にデレがあるはず)できるのが、普及した理由の一つだと思います。

  • [natu3kan]

将棋の駒の譬えはうまいなあ。物語展開は読めるけど、羽生さん並の達人でもないかぎり把握しきれるわけじゃないその性質を見事に言い当ててる感じがします。

[nisemono_san]

駒というと少し違和感があるけれど、盤の大きさで考えるとスッキリくるかもしれない。つまり、盤が相対的に大きかったのが、「属性以前」であって、盤が相対的に小さくなったのが「属性以後」。だから、動ける範囲は変わらないのだが、盤が小さくなったために相対的に物語展開が単純なものに見えるという。
あと、後半の部分で、「表層だけしかない」というのには賛同するんだけど、じゃあ内面を想像するかというと俺はちょっと微妙なわけで、俺はどちらかというと「内面の表層化」という言い方をしたい。だって、「ツンの下にデレがあるはず」というのは想像であるというよりかは予言で、それはなぜかというと想像はそれこそ内面の無限後退が起きるが、そうではなく、すでに内面は決定されいるわけで、だからこそ「兆候」として捉えたいのね。本当に表層と内面が分離しているのならば「ツンデレツン」という言い方もできる(ミソはただの「ツン」ではないということ)わけで。

[sirouto2]セカイ系ではキャラが成り上がる

盤と駒の比喩を続けると、セカイ系では、盤の大きさというより、駒が成れるようになって、戦略性が一変したところがあります。つまり、終盤に入って物語のある境界線を超えたところで、突然駒の働きが変わってしまう。誰々は実は使徒だった、みたいに歩と金が同じになってしまう。重要人物がバタバタ死んだりするところは、大駒も捨てる終盤の寄せの感覚ですね。ただし、本当に最終盤で詰みが見えるまでは、natu3kanさんの言うように、局面の良し悪しと数手先しか読めません。どんな薄っぺらい萌えアニメでも、(原作がない場合)次回の展開を最初から最後まで全部予言するのは難しいでしょう。ということは、端歩の突き合いが判断に入れられるレベルになれば、マンネリのように見えて退屈しないと思うんですね。


「内面の表層化」*1は「表層だけしかない」を徹底したテーゼですね。「ツンデレツン」というのは、デレが隠されてなくてバレバレのツンのことですよね。頬を赤くして照れたりするので一発で分かる。ここでも比喩を用いると、それはある種の「仮面化」だと思いますね。顔文字(^^)は顔の文字化で、つまりは仮面です。顔文字は表情が張り付いていて、仮面をかぶった人物を欲動の存在にしてしまいます。「仮面の人物」は素顔が見えないので、情緒の機微のレベルで応答することはなく、特定の要求に関するゲームの次元に応答が制限されます。だから、掲示板というのは「掲示盤」で、顔文字は「態度の駒」なのだとも言えるのです。

*1:たぶん元ネタは柄谷辺りでnisemono_sanもそれを踏まえていると思うけど

フリーシェアキャラクター

ネタ振りふりふりフリーシェア。
「フリーシェアキャラクター」というのはどうでしょう。基本的には「フリーシェアワールド」と同じコンセプトですが、世界設定ではなく人物設定に重点をおきます。個人的に、「ワールド」を軸に設定を共有するよりも、「キャラクター」を軸にしたほうがいいような気がするのです。とか言いつつ、シェアードワールドすら完全には理解できていない私なのですけども。
んー、シェアードキャラクターというシステムは既に存在しますか? 二次創作はすべて、広義のシェアキャラクターと言えるのでしょうか?
関連として思い浮かんだもの:手塚治虫のスター・システム

  • [nisoku2]>シェアードキャラクターというシステムは既に存在しますか?

こういうのならありました。
http://www.tinami.com/x/shibata/07/page1.html
http://web.archive.org/web/20040604232435/http://www2.odn.ne.jp/~cae28790/manga/gesopin.html
これはあくまで一回きりのお遊びだったようですので、不特定多数の人間で設定を構築・発展させるようなフリーシェアものとはちょっと趣が異なるかもしれませんが。

[sirouto2]私の語彙だと「キャラのバラ売り」になりますが

大変納得しました。なるほど確かに、シェアワールドをシェアキャラに変えただけで、かなり潰しが効きそうです。世界観全体を理解するのは大変だけど、一人のキャラなら作るのも使うのも比較的に簡単で、キャラの組み合わせで違う世界になりますからね。スパロボもキャラミックスでしょうが、オリジナルかつフリーで展開すると。


ゴーストやVNIとも連動できそうというか、元々それらはシェアキャラな気がしますね。普及するかどうかはここでも、キャラデザの設定画等が揃っているかと、既存の二次創作キャラとの競争ですね。ちなみに下記など「フリーキャラクター」という発想自体はあるようですが、まだ普及していませんし、組み合わせで世界観を創造するという程発達してはいませんね。


愛の妖精ぷりんてぃん フリーキャラクター規約トップ

[natu3kan]かなり電波の入った文章を書いてみた

キャラだとキャラクター性が、自分の創作の邪魔になるからフリー音楽みたいな感じで皮だけフリーみたいな感じが今は確立してる気がします。
フリー音楽も結構重宝されてるじゃないですか、ひぐらしみたいに。
フリー音楽もこんなイメージで作りましたとは書いてあるけど、こう使え! みたいな強要はしないじゃないですか。それのキャラ版みたいな感じで。
キャラが普及しないのは、作られた内面がうざったいみたいなことがあるのかもなあ。
魅力的な皮だけど、内面はいらないみたいな。
いい物語ならシェアしたいけど、単体では物語になれないキャラの性格みたいな中途半端に自分の創作をするときに物語を左右してしまうような断片は好かれないみたいな。
シェアワールドであっても、自分のキャラを置こうしたりするのはそういう感じなのかもなあと、ふと思った。
原画家が原則的にお話を考えない、みたいな。
シェアなんたらって、RPGツクールみたいなシステムに組み込みやすいような気がする。皮と世界観と音楽を組み合わせてオレだけの物語っちゃおう! でなんとなく作り手の創作欲とオリジナリティ気軽にみたせちゃうあたりが。
で、またツクールかよ、みたいな(ツクールでゲーム作ったくらいで創作したつもりになるなよ的な? あ、ゲームの作り方を知ったつもりになるなよ的というべきか?)反感もそのあたりから来る気もするわけですが、とか。

  • [sirouto2]音楽的キャラ

確かに音楽は素材として流通しやすいですね。対して文章の素材化が難しいのは、文脈に規定されているからでしょう。ということは、物語に規定されないキャラクターにすればいいわけです。そこで、BGMみたいなキャラはどういうのかというと、「イメージキャラクター」が近いのではないでしょうか。音楽素材もイメージの流用でしょう。

シェアードワールドとヴィジュアル=ワールドデザイン

http://d.hatena.ne.jp/tosakusha/20061006

上の続きになりますが、皆さんの意見を参考にいろいろ考えてみました。
結論から言うとシェアードワールドは絵が大事なんじゃないかという話で。
別にこうすればシェアードワールドが成功するという話ではなく
共通するシステムデザインを見つければ、シェアワールド立ち上げる時に人の興味を惹きやすくなるなるのかもなあ的な言葉遊びですが。(苦しい言い訳)

・mizunotoriさんの『質の高さが必須なのでは?』という意見

この質の高さというのが媒体によって微妙に違うらしいという事を考えました。
アニメだと話が話題になるものでも高品質というかキレイに動く絵に穴あきシナリオがシェアされやすい気がするのですが
AVG(というかエロゲ)だと月姫ひぐらし、あと七尾絵、いたる絵でも良いですが、決して絵の緻密さを要求されないというか、むしろ多少崩れているほうがシェアされやすい。逆にキレイな絵だと物語を楽しむというよりより可愛い女の子と恋愛するのをシミュレーションして楽しむ系になる気がします(エルフの同級生やらときメモでもキミキスでも良いですが)
動的メディアだと圧倒的なビジュアル(キレイな絵に血とか爆発)
静的(性的?)メディアだとむしろビジュアルが整っているより特徴的な方が良い。

あと憶測ですが、ラノベだとその中間で、めちゃくちゃ上手いともめちゃくちゃ下手というわけじゃないけど、でも誰の絵か一発でわかる程度に特徴的な絵師なイメージがある。流通量ももしかしたら好まれやすいビジュアルに関係するのかもしれない。

たとえば流通量が多いとシナリオが緻密じゃなくても絵が見栄えのあるほうが良い。(みんながシナリオの考察が得意なわけじゃないから、情報量の多さとシナリオの上手さは別)
逆に流通量の少ないメディアだと話が詰まっていて(簡単に言うと文学的)絵が絵師の特徴を持ってる程度に無骨な方が最低限に文章を補完するのに向いてるって感じ。

流通量が多いメディア(アニメとか)だと見栄えがよくて話が分りやすい方がいい。で、インディーズっぽいメディアはその逆みたいな(ひぐらしのPS版が解りやすいかな)流通量によって一極集中する場所が違うつーのかな。

(あー、何をして質の高さとするかみたいな子供の疑問っぽいヤツとかもやりたくなってきた)

情報量の多さ(魅力的なパーツ)は衒学的の一言で始末できるかもしれない。
つまり衒学性はどのメディアにも共通するけど、文学性というかお話の組み方が複雑にすべきか否かは異なるということで。

つまり、お話をしっかり作ったおたく☆まっしぐらだったからこそ、周りの人が助けて補完してくれたんじゃないのかという話。エヴァの逆ですね。つまり。

いや、ここはあえてネームバリューのお陰だ! とか自分がワナビ特有の嫉妬を起こした方がワナビらしいかなあ。

・sirouto2さんのフレームワーク問題

ちょっと話が脱線するんですが、シェアードワールドで人を集めるのに必要なのって圧倒的なビジュアルな気がするんです。
どこか刺激的なデザインというんですかね。

クトゥルフは媒体は文字ですが、神話に出てくる生物のビジュアルがとんでもないことが文字で説明されている。
奇妙な形なのが象徴として主軸になってて、世界観を把握しやすく新しく増設しやすい。

ガンダムなら、ガンダムという象徴(少数生産の高性能試作機、隊長機)とジムという量産機みたいな感じでデザインが作品の世界観を示すアイコンになってて解りやすくなっている。
オリジナルでストーリーつくっても、狂気と奇妙なバケモノにへんちくりんな名前でなんとなくクトゥルフを連想するし「パラサイトムーン@渡瀬草一郎」でクトゥルフを連想した人は少なからず居たはず。ってアレはどっちかつーとジョジョか。
ガンダムなら優秀な高性能な試作機と量産機を配置して、専用の機体にのる敵エースパイロットが出てきて歴戦の兵士も出てくれば、とりあえずガンダムっぽいなって誰もが思ってくれる。

何がいいたいかというと
シェアードワールドというのはビジュアルデザインが
そのシェアードワールドの内容を簡単に説明できうるシステムデザイン

になってて、それを真似るだけで誰でもソレっぽく出来てしまうのではないか? という感じ。

フレームワークからかなりずれましたが。
シェアするためには解りやすい『ビジュアルデザイン=ストーリーデザインの体現』なんじゃないか感じで。


・p_shirokumaさんのある程度以上のクオリティと空白混じりシステムを、消費者が好きなように埋めていくってプロセス

実は、もうネタが無いので引用になるんですが、メディアによって物語のフラグメント化というか断片というか空隙の度合いの違いというのはプレイスタイルの違いなのかなあと思いました。

私見では、STGを含めたアクションゲームとノベルゲームの違いっていうのは、物語をリアルタイムで体験できるかどうかの違いで、つまり後者は、ゲームをプレイしながら同時に物語を楽しむことができるのですが、前者ではゲームをプレイしている最中には『ゲームをする』以上のことはほとんど或いはまったくできないんですよね。ぶっちゃけて言えば、STGプレイ中、弾避けの最中に他のことを考えていたら間違いなく死にますから(笑)。
http://www.geocities.jp/sinobu_yuki_o/diary-2000-11.htm#10 [魔法の笛と銀のすず]

つまりリアルタイムで物語を感じられるものが穴だらけだと困る。
リアルタイムで考察できないSTGだと穴があった方がゲームに夢中になれる。
設定の情報量に気をとられず、純粋にゲームを楽しむ事が出来る。

で、ゲームが終わった後にビジュアルデザインと説明書やデモの設定を振り返って回想するというのかな。回想型のメディア(STGなストーリーデザイン)はイラストつきの詩みたいな方がいい。
斑鳩なんかもう詩じゃないですか。大人の絵本。

でも、普通のゲームでも回想型にする事は可能。
たとえばkanonなんか。肝になる『夢をみていた』のくだりなんか本編の明るい学園パートの合間に少しだけ入っている。
小説なら章の頭に必ずエピグラフを入れる感じ。
『短い詩→ながーい小説→短い詩→ながーい小説』にすると、短い詩(情報が穴だらけ)の部分が回想型メディアになる。
ついでに言うと詩の部分が本編からすると脱線要素であり伏線であったりもするわけですが。

[sirouto2]キャラクターとモジュール・物語化する市場・GUIの操作性

>(前回)p_shirokumaさん「申し訳程度のストーリー語りと情景描写をもとに、作品内世界を脳内で派手に組み上げて自分用物語をカスタマイズ」
HTMLとCSSのようにロジックとデザインが分離して、ブログみたいにデザインだけカスタマイズできるのが一般的になりました。IT界ではコンポーネント化・モジュール化・オブジェクト化・デザインパターン化…という大きな流れがあって、それをコンテンツ界に適用すれば、ストーリーやキャラクターのモジュール化によって、ユーザの拡張性が生じたのでしょう。


>(前回)nisemono_sanさん「実は現代的な消費作法というのは、神話の物語化」
『消費社会の神話と構造』ですね。現代の消費社会は市場の商品を物語化しますが、市場は伝統的共同体のように、整合性を保証する「大他者は存在しない」わけです。単なる競争と自然淘汰ですから。従ってキュビスム的な非整合的な意味の断片が同じ平面にあるという…要するに、「ネオエクスデス」的な神話になります。


>natu3kanさん「結論から言うとシェアードワールドは絵が大事なんじゃないかという話で。」
フレームワークの拡張性とは別の、GUIの操作性・表現性が重要だという話ですね。つまり、可能性を一定に収束させる装置です。Plaggerがインストールが面倒臭くてCUIなのと、ひぐらしの序盤が退屈で絵が猫手なのは似ていると思う。アニメ版ひぐらしはダイジェストみたいだけど、ライトユーザー用の普及版ですね。フォトショップに対するフォトショップエレメンツみたいな。整理すると、ハルヒのようにGUIが洗練されているタイプと、ひぐらしのようにCUIだけどプラグインの拡張性が高いタイプがあるわけです。

昨今のシステム重視(半完成品?)型コンテンツの注目度の上昇について

ネタフリになればいいなあと思って投稿してみる。
http://wiki.livedoor.jp/pinkbbs_otakum/d/%BA%C7%B2%CC%A4%C6%A4%D8%A1%F9%A4%DE%A4%C3%A4%B7%A4%B0%A4%E9

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061002/111000/

あと、ひぐらしなんかもリリース中は半完成品でしたが。
リソースをシステムの方に全部振ってるような作品というのが注目を浴びやすくなっている気がします。
それはどうしてなのかなあと。


タイプムーン作品が遊びやすい世界観(舞台)で同人の二次創作が盛り上がったあたりから、意図的にしろ偶然にしろ穴(謎や欠陥)を作ってソレを読者が埋めるような傾向が強くなっているように思われます。
読者が謎の推理したり欠陥修復したりするのがオープンソース集団知?)っぽく機能している気がします。


こういう状況を鑑みると同じ世界観を皆で共有するから、共有する世界観そのものを改良していく、シェアワールドみたいな発想が生まれてくるのは必然なのかなあとふと思いました。
あと、萌え理論コンテンツもシステムに全部振ってるコンテンツですね。
やっぱり、作り手と受け手の差異が昔みたいに特権的(本を作れる人だけが作り手)でなくなったからなんでしょうか?


そして、半完成品コンテンツの成功にはおたく☆まっしぐらならば、有名シナリオライターというネームバリュー。ハルヒひぐらしみたいな斬新な魅せ方で知名度を上げていく感じで

意図的な半完成品は未完成だけど魅力的なパーツ(ネタ)がたくさんそろってる。
意図としない半完成品、パーツは少ないけど最初から知名度がある。


ということは有名作家でたまーに未完成みたいなポストモダンな作品を書く人つーのはこういうことを理解してるからやってるのか、ただマトモに書くのがめんどくさいのかなんて考えてしまう。
システム系作品の成功は注目とさまざまな分野からの分析が向けられるだけの充分な客層(人数の多さ)が肝で、じゃその人を集めるにはどうすれば良いのか? とか考えたたらわかんなくなってきました。


話は脱線しましたが、なんかそんなことを考えたんですが、どうも自分の考えてる事が違うような気がして、もっと的確な考えがありそうなので。

[mizunotori]

>じゃその人を集めるにはどうすれば良いのか?
質の高さが必須なのでは? 『ハルヒ』が『HARUHI-SOS道』だったら、誰もハルヒダンスを踊ったりしなかったと思う。穴があるうえにつまらなければ、それは本当に未完成なだけ。笑いものにしかならない。


それと、単に穴があいているだけじゃなくて、その穴を埋められるだけのパーツが揃っていることも重要。『月姫』の場合、膨大な設定から想像をかきたてられるので、穴があっても埋められる。んだと思う。


祭り型コンテンツに関してはsirouto2さんが専門なので、たぶんすごいことをビシッと書いてくれるはず。期待。

[sirouto2]フレームワークの位相で見る

>あと、萌え理論コンテンツもシステムに全部振ってるコンテンツですね。
そうですね。萌理賞は参加型だし、萌え理論Portalは自動更新ですからね。
>祭り型コンテンツに関してはsirouto2さんが専門なので、たぶんすごいことをビシッと書いてくれるはず。期待。
プレッシャーを掛けますね。ビシッじゃなくてヌルッと書いちゃったら恥ずかしいな。


natu3kanさんの話はシェアワールドの問題意識を汲んだ流れになっていますね。ハルヒCGMを結びつけた記事が記憶に新しいですが、確かに最近は祭り型で補完型のコンテンツが増えてきて、キャラ立ち、更には場所立ちの力によって、断片的なキットのまま流通してブレイクしてしまう作品が増えてきました。で、「人を集めるにはどうすれば良いのか?」という問題ですね。


今BlogでPlaggerの話をしているついでに言えば、単体での機能だけではなくて、フレームワークの位相で見た時に、プラグイン群全体の機能が凄いわけです。拡張性というか可能性を考慮に入れると魅力的なんです。ひぐらしは絵が下手と言われましたが、逆に言うとそんなの同人で補完すれば全然問題なくて、「なあに、かえって免疫力がつく」という話です。
 

[p_shirokuma]

 
 この現象って、よくよく考えたら確かエヴァンゲリオンの頃からあったような。十分なクオリティと、なんとはなしに把握されるけれども空白いっぱいのシステム、等々の条件が整ったコンテンツに、夢中になる場面って多いような。
 
 そういえば、ある程度以上のクオリティと空白混じりシステムを、消費者が好きなように埋めていくってプロセスは、アニメ・同人界隈だけじゃなくて、例えばシューティング界隈でも古典的にみられるように思えます。シューティングゲームの、申し訳程度のストーリー語りと情景描写をもとに、作品内世界を脳内で派手に組み上げて自分用物語をカスタマイズしちゃうような。sirouto2さんが仰るように、空白が大きいとか小さいとか関係なし。
 
 なんなんでしょうね、これ?ふと、「脳内シミュラークル組み組み」だなぁと思ってしまいました。「萌えキャラを脳内補完する時に似た構造が、アニメやシューティングゲームの(例えば)物語消費に関しても起こっている」、と考えたら、その相似性と相違性を確かめてみたくなってきました。

[guest]

sirobu 『>そして、半完成品コンテンツの成功にはおたく☆まっしぐらならば、有名シナリオライターというネームバリュー。
おたく☆まっしぐらは半完成コンテンツとして成功してる(=盛り上がってるって意味でOK?)例としては妥当ではないんじゃないでしょうか。
他の事例を見る限り、成功してる未完成コンテンツって言うのは、未完成の穴埋めを積極的する新規参加者を呼び込むようなモノの事を指すような気がします。

おたくの場合、未完成の度合いが酷すぎるかつ元々サポートが期待できないメーカーだから、仕方なくユーザーがサルベージせざるを得ない状況に追い込まれてるだけです。だから未完成だから買おう(参加しよう)って人は出てこないわけで……
今までもゲームの完成度が酷くてイラストのみ抽出されるエロゲは結構ありましたよね? 今回は購買目的がシナリオって人が多かったからADVとして復元しないことには目的を達せないだけかと。』(2006/10/07 15:22)

[nisemono_san]《空白》と《名状し難いモノ》

ちょっと電波じみた話をここに投げてみる。
私自身はよく「空白」問題を考えます。「空白」問題とは、要するに「設定の不在が欠陥ならずに長所となりうるのか」という問題なのですが(エヴァンゲリオンがその典型でありますね)、ただ実はこれらの物語製作の方法というのは昔からあって、それの典型が聖書であったり神話であったりします。そして、物語と神話は部分部分で対立します。なぜ対立するかといいますと、物語がひとつの一貫性を求めるのに対して、神話は一貫性を求めないという部分が大きいです。なぜかというと、物語は社会的/共同体的な整合性を求めるのに対して、神話は《世界》の整合性を求めるからでもあります。要するに《世界》の理不尽さということを如何にして納得するか、というところがポイントであったりします。従って、神々というのは得てして理不尽であったりするわけですね。そのような空白でしか語りえないもの、名状しがたいものというものの記述という側面では、空白の使い方というのは非常に有効なわけです。
で、そう考えていくと、実は現代的な消費作法というのは、神話の物語化といいますか、神話の消費化/抹消化ということで、《理不尽さ》の消費といいますか、あるいは社会全体が理不尽に満ち溢れているという風に錯覚しているのが。ただ、思春期の場合だと理不尽さがあふれだす時期であったりするので「はしか」のようなものと考えるようなこともできるし、あるいはセカイ系議論にももっていけることができるかもしれませんが。なんだか最終的には「サイファに目覚めよ!」という変な話にしかならないので、ここで止めておきます。

メタ・シェアワールドの構築

http://d.hatena.ne.jp/tosakusha/20060923/1158978931
冗談半分、本気半分で。フリーシェアワールドというのは面白いと思うのですが、ただやはりフリーシェアワールドなどで考えて思うのは、それぞれのシェアワールドの遺産みたいなものがけっこう蓄積されているのにも関わらず、いちからやりなおすのはもったいないかなと思う部分があって。要するにシェアワールド間において、お互いの世界がお互いの世界を干渉することはない、というか(もちろん、創造主である神=著作者は影響をかぶりまくりなんだけれど)。だから、今もしかして構築して面白いかもしれないのは、データベースを埋めていくのではなくて、それらを利用できるようなデータベースシステムの構築=メタ・シェアワールドなのかもしれないなあと思って。ただ、そうすると、基本は並列世界ということになるので、その辺りのつじつまをどう合わせるかということになりそう。

例示

われわれの世界はほかの世界とそれぞれ干渉関係にある。干渉関係とは、ほかの世界で行われたことがほかの世界に影響を与えることである。お互いの世界はお互いの世界に介入しあっている。しかし、わたしたちからほかの世界が如何に干渉しているのか、あるいはほかの世界が如何なる世界なのかは理解することができない。理解はできないのだが、しかしそれぞれの世界には世界が構築されたときに失敗した跡が残っている。それを「バグ」と呼ぶ。バグの正体は不明である。「バグ」が起きたとき、人がほかの世界に参入することもあるし、あるいはほかの世界がほかの世界と融合して一つの世界になりうることもある。あるいはその世界が消滅することもあれば、ほかの世界が誕生することがある。世界の世界全体がどのようになっているのかは我々には知ることはない。ただ、我々はそのように世界が常に変化し儚くあっけなく崩れ去ることがあるということを理解するだけである。

  • [Erlkonig]

既存の世界を拾い上げて干渉させ合うというのは考えていて、以前の記事で貼ったリンクは既存作品へのシェアワールド化の呼びかけであったりもします。ワールド同士を干渉させるシステムとしては、たとえばサガフロンティアだと文明世界やメルヘン世界をリージョンという考え方で無理矢理ひとつの体系に押し込んでいます。上遠野浩平さんの一連の作品群みたいなやり方もありますし、OVAジャイアントロボスーパーロボット大戦みたいなのもひとつの方法ですね。

[sirouto2]データベースvsジェネレータ

>データベースシステムの構築=メタ・シェアワールド
DBMSですか。シェアワールドがデータベースだとすれば、逆のベクトルにジェネレータがあります。設定の蓄積ではなくて、むしろ生成する装置ですね。その生成規則もメタ・シェアワールドでしょう。*1今の技術だと文脈や意味を保つ生成はほとんど無理で、結局は「パラメータやフラグで条件付けられた範囲内でのランダム」に収まるものしかないでしょう。しかし、読者の作家性というのを考えていて、読者に記憶が蓄積しているので、いわば仮想的なデータベースになるわけです。それによって、ランダムに生成されたものにも意味を補完することができます。例えば、ガンパレの面白さの源ですね。

*1:「生成」「規則」「メタ」に議論の余地があるが省略

萌え定義樹形図

┬萌えとエロは同じものだよ(融和派)
├エロなんて萌えの一部にすぎないよ(萌え派・絶対主義)
├いや、萌えがエロの一部なんだよ(エロ派・性欲主義)
├萌えとエロは重なる部分もあるけど別物だよ(分離派・他人の空似主義)
├萌えが昂じてエロになるんだよ(勃起派)
├萌えとエロの対立が近代の物語だよ(似非社会学派)
├萌えもエロも存在しないよ(懐疑主義派)
├各人にそれぞれの萌えがあるんだよ(穏健派・日和見主義)
├萌えは男根の去勢だよ(フロイト派)
├萌えは対象aだよ(ラカン派)
├萌えは愛だよ(ラテン派)
├萌えとは初恋のときめきだよ(詩人派)
├とりあえずエロゲやれよ(実戦派)
├データベース消費だよ(東浩紀派)
├10歳児のためのポルノだよ(更科修一郎派)
├ビューティーを紡ぎ奏でるよ派(美派。独特の教義で拡大、最大派閥)
├長門萌え(宇宙派)
├にはは、ぶいっ(そんなことより観鈴派)
└萌えは で ぶ せ ん だよ(フェチ派)


適当に追加していってください。