昨今のシステム重視(半完成品?)型コンテンツの注目度の上昇について

ネタフリになればいいなあと思って投稿してみる。
http://wiki.livedoor.jp/pinkbbs_otakum/d/%BA%C7%B2%CC%A4%C6%A4%D8%A1%F9%A4%DE%A4%C3%A4%B7%A4%B0%A4%E9

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061002/111000/

あと、ひぐらしなんかもリリース中は半完成品でしたが。
リソースをシステムの方に全部振ってるような作品というのが注目を浴びやすくなっている気がします。
それはどうしてなのかなあと。


タイプムーン作品が遊びやすい世界観(舞台)で同人の二次創作が盛り上がったあたりから、意図的にしろ偶然にしろ穴(謎や欠陥)を作ってソレを読者が埋めるような傾向が強くなっているように思われます。
読者が謎の推理したり欠陥修復したりするのがオープンソース集団知?)っぽく機能している気がします。


こういう状況を鑑みると同じ世界観を皆で共有するから、共有する世界観そのものを改良していく、シェアワールドみたいな発想が生まれてくるのは必然なのかなあとふと思いました。
あと、萌え理論コンテンツもシステムに全部振ってるコンテンツですね。
やっぱり、作り手と受け手の差異が昔みたいに特権的(本を作れる人だけが作り手)でなくなったからなんでしょうか?


そして、半完成品コンテンツの成功にはおたく☆まっしぐらならば、有名シナリオライターというネームバリュー。ハルヒひぐらしみたいな斬新な魅せ方で知名度を上げていく感じで

意図的な半完成品は未完成だけど魅力的なパーツ(ネタ)がたくさんそろってる。
意図としない半完成品、パーツは少ないけど最初から知名度がある。


ということは有名作家でたまーに未完成みたいなポストモダンな作品を書く人つーのはこういうことを理解してるからやってるのか、ただマトモに書くのがめんどくさいのかなんて考えてしまう。
システム系作品の成功は注目とさまざまな分野からの分析が向けられるだけの充分な客層(人数の多さ)が肝で、じゃその人を集めるにはどうすれば良いのか? とか考えたたらわかんなくなってきました。


話は脱線しましたが、なんかそんなことを考えたんですが、どうも自分の考えてる事が違うような気がして、もっと的確な考えがありそうなので。

[mizunotori]

>じゃその人を集めるにはどうすれば良いのか?
質の高さが必須なのでは? 『ハルヒ』が『HARUHI-SOS道』だったら、誰もハルヒダンスを踊ったりしなかったと思う。穴があるうえにつまらなければ、それは本当に未完成なだけ。笑いものにしかならない。


それと、単に穴があいているだけじゃなくて、その穴を埋められるだけのパーツが揃っていることも重要。『月姫』の場合、膨大な設定から想像をかきたてられるので、穴があっても埋められる。んだと思う。


祭り型コンテンツに関してはsirouto2さんが専門なので、たぶんすごいことをビシッと書いてくれるはず。期待。

[sirouto2]フレームワークの位相で見る

>あと、萌え理論コンテンツもシステムに全部振ってるコンテンツですね。
そうですね。萌理賞は参加型だし、萌え理論Portalは自動更新ですからね。
>祭り型コンテンツに関してはsirouto2さんが専門なので、たぶんすごいことをビシッと書いてくれるはず。期待。
プレッシャーを掛けますね。ビシッじゃなくてヌルッと書いちゃったら恥ずかしいな。


natu3kanさんの話はシェアワールドの問題意識を汲んだ流れになっていますね。ハルヒCGMを結びつけた記事が記憶に新しいですが、確かに最近は祭り型で補完型のコンテンツが増えてきて、キャラ立ち、更には場所立ちの力によって、断片的なキットのまま流通してブレイクしてしまう作品が増えてきました。で、「人を集めるにはどうすれば良いのか?」という問題ですね。


今BlogでPlaggerの話をしているついでに言えば、単体での機能だけではなくて、フレームワークの位相で見た時に、プラグイン群全体の機能が凄いわけです。拡張性というか可能性を考慮に入れると魅力的なんです。ひぐらしは絵が下手と言われましたが、逆に言うとそんなの同人で補完すれば全然問題なくて、「なあに、かえって免疫力がつく」という話です。
 

[p_shirokuma]

 
 この現象って、よくよく考えたら確かエヴァンゲリオンの頃からあったような。十分なクオリティと、なんとはなしに把握されるけれども空白いっぱいのシステム、等々の条件が整ったコンテンツに、夢中になる場面って多いような。
 
 そういえば、ある程度以上のクオリティと空白混じりシステムを、消費者が好きなように埋めていくってプロセスは、アニメ・同人界隈だけじゃなくて、例えばシューティング界隈でも古典的にみられるように思えます。シューティングゲームの、申し訳程度のストーリー語りと情景描写をもとに、作品内世界を脳内で派手に組み上げて自分用物語をカスタマイズしちゃうような。sirouto2さんが仰るように、空白が大きいとか小さいとか関係なし。
 
 なんなんでしょうね、これ?ふと、「脳内シミュラークル組み組み」だなぁと思ってしまいました。「萌えキャラを脳内補完する時に似た構造が、アニメやシューティングゲームの(例えば)物語消費に関しても起こっている」、と考えたら、その相似性と相違性を確かめてみたくなってきました。

[guest]

sirobu 『>そして、半完成品コンテンツの成功にはおたく☆まっしぐらならば、有名シナリオライターというネームバリュー。
おたく☆まっしぐらは半完成コンテンツとして成功してる(=盛り上がってるって意味でOK?)例としては妥当ではないんじゃないでしょうか。
他の事例を見る限り、成功してる未完成コンテンツって言うのは、未完成の穴埋めを積極的する新規参加者を呼び込むようなモノの事を指すような気がします。

おたくの場合、未完成の度合いが酷すぎるかつ元々サポートが期待できないメーカーだから、仕方なくユーザーがサルベージせざるを得ない状況に追い込まれてるだけです。だから未完成だから買おう(参加しよう)って人は出てこないわけで……
今までもゲームの完成度が酷くてイラストのみ抽出されるエロゲは結構ありましたよね? 今回は購買目的がシナリオって人が多かったからADVとして復元しないことには目的を達せないだけかと。』(2006/10/07 15:22)

[nisemono_san]《空白》と《名状し難いモノ》

ちょっと電波じみた話をここに投げてみる。
私自身はよく「空白」問題を考えます。「空白」問題とは、要するに「設定の不在が欠陥ならずに長所となりうるのか」という問題なのですが(エヴァンゲリオンがその典型でありますね)、ただ実はこれらの物語製作の方法というのは昔からあって、それの典型が聖書であったり神話であったりします。そして、物語と神話は部分部分で対立します。なぜ対立するかといいますと、物語がひとつの一貫性を求めるのに対して、神話は一貫性を求めないという部分が大きいです。なぜかというと、物語は社会的/共同体的な整合性を求めるのに対して、神話は《世界》の整合性を求めるからでもあります。要するに《世界》の理不尽さということを如何にして納得するか、というところがポイントであったりします。従って、神々というのは得てして理不尽であったりするわけですね。そのような空白でしか語りえないもの、名状しがたいものというものの記述という側面では、空白の使い方というのは非常に有効なわけです。
で、そう考えていくと、実は現代的な消費作法というのは、神話の物語化といいますか、神話の消費化/抹消化ということで、《理不尽さ》の消費といいますか、あるいは社会全体が理不尽に満ち溢れているという風に錯覚しているのが。ただ、思春期の場合だと理不尽さがあふれだす時期であったりするので「はしか」のようなものと考えるようなこともできるし、あるいはセカイ系議論にももっていけることができるかもしれませんが。なんだか最終的には「サイファに目覚めよ!」という変な話にしかならないので、ここで止めておきます。