「かわいいが正義」の逆。心のバランスをとる。


あの時ビルがあんな風に粉々に崩れるなんて誰も思ってなかった。消防士にもビル全体が崩落寸前であることなんて伝わっていなかったし、退去命令も伝わらなかった。彼らがおそれを知らずに勇敢に振舞った理由は簡単だ。彼らは単に「知らなかった」のだ。彼らはアメリカを救った英雄というよりは、その他の死亡者と同じ、単なる犠牲者に過ぎない。

一方テロリストは違う。彼らは自らの大義のために命を賭けた。自分たちがどうなるか、十分に知りつつもそれに賭けたのだ。とすればソンタグが語ったようにそれを「臆病」と形容することは出来ない。テロリストこそ自分たちが信じるものに、その「道徳的正しさ」はさておき、あえて「殉じた」からだ。

アメリカが「ワールドトレードセンター」を語る際に「テロvs英雄的な消防士」の物語を妄想してしまうのは、おそらくそうでもしないと、テロリストと釣り合いが取れない、とアメリカ人が無意識に考えてしまっていることを示す。

「畏れ」と「英雄」 (Dead Letter Blog)

よく、物語で悪の大魔王や、ディストピア世界を管理する非感情的なコンピュータが(味方側の)人間の愛や大義のために通常以上の能力を発揮して特攻してくるような行動を理解できず恐れる。

魔王やコンピュータは人間の感情を理解できず効率(理性)的に動くから、非効率(感情)的に動くことが理解できない。

理性と感情でなくとも、コレが違う文化圏。たとえば欧米とイスラムなんて組み替えても成立するっていうのかな。
自分側の文化圏の大義による特攻ってのは意思が理解できるから心が動くけれど。
相手側の文化圏の大義による特攻ってのは自分の文化圏の意思では理解できないから狂気(なんで、そんなもののために死ねるのだろう?)に見えてしまうよなあ、なんて思った。



いきなりセンシティブな話になるが、暴力表現と障害者の扱いはかなり似てる。どっちもリアルには描かれないし、なかったことにされがちだ。ハンセン氏病患者やユニークフェイス、ミゼットプロレス、リアルな障害者は表現の世界では禁忌とさえされてきた。それは多くの人間が願う「美しい&かわいい&明るいを見たい」という条件から外れるからだ。そこで暴力表現と同じく加工がなされた。身体はナニだが、精神は「美しい」と。

深町秋生の新人日記 - 宣戦布告。

美しいってのは、誰もが(善いことである)理解しやすいことなのかもなあ。とか。
(動機が)理解できる暴力=大義
(動機が)理解できない暴力=狂気
 

平等という言葉を持ち出したときに『平等に幸福』を真っ先に連想してしまい、『平等に不幸』という可能性を忘れてしまう

美しいというのが、理解しやすい整然とした要素なのかもなあ。みたいな。
ありふれた物語に於いて『辛い状況に立っているから辛い人の苦しみが分かるから善い』という可能性を思わず見てしまう、貧乏だから心が清いとかと同じロジックのドライブを回転させてしまうのは、ある種の性善説なのかなあ。

辛い状況に立っているから、周りの人を出し抜いて自分だけいい状況になろうとか。辛い状況に立っているから、いい状況の人も平等に不幸にしようとするという可能性。
たとえば、公務員叩きとか産婦人科叩きみたいに、身近で少しいい思いをしてるであろうと思ってるヤツを引きずり下ろそう(オマエもオレと同じ地獄を味あわせてやりたい)っていう行動に大抵自覚的でないのも、美しいモノもっといえば自分に理解できるものしか興味が無い。
つまり悪い、卑しい状況にいる我々はすべからく善人と思っているという理解の現われなのかもなあとか、まとまりの無いまま終わってみる。
『我々』でない卑しいものや卑しくないモノは理解できないのでとりあえず悪ってのが政治家やホームレス、ニートとかを見下す姿勢なのかも。
だれか、うまくまとめてくれるとうれしい。

[zonia]まとめじゃなくて疑問というか思ったこと

あー、strawmanはこの文脈で言えば自分の文化圏で理解できないものを理解する試みなのかな?

[natu3kan]

>自分の文化圏で理解できないものを理解する試みなのかな?
ってことですかね? たぶん。
なんかとりあえず話しているうちにたたき台になったらいいなあってイメージです。かなりアバウトです。はい。
あと、どうして理解できないことをドラマ化してしまうのか? ってのも触れたい気がします。

[setofuumi]

全くまとめるつもりがなくて申し訳ないんですけど、「狂気」を「理解不能なもの」とイコールで繋いでしまうとやや違和感があります。自分の感覚だと、理解はある程度可能なんだけれども受け入れられない、そしてその受け入れられないことの説明や解釈ができない(あるいは困難な)ものが「狂気」。また受け入れられない理由が明確な場合(つまり正義、大義がある場合)は「悪」と呼ぶ、といったような具合。

例に挙がってるようなのはあまりそういう感じではなくて、「素で理解できない」「はなから理解しようと思わない」「理解以前の段階で危険」といった感じなんですけど、自分の感覚だとそういうのは単純に「邪魔者」「部外者」あるいは「危険要素」といった言葉の方が近いような気がします。冒頭の引用部分からすると、「理解できるが否定する」と「理解できないので否定する」だと前者の方が「大義」の格好としては美しい、という話なのかな。あと「理解できない」「危険要素」というカテゴリだと天災とそう変わらないわけで、それはどっちかっつーと憎悪ではなく畏怖、畏敬の対象だよな、とか思いました。
後半部分のところはなんというか、「正義、大義」をはっきりと構築できる過程を持たなかった(持てなかった、あるいは失った、奪われた)人がその「過程」をアクティブに求めた結果というのが"「邪魔者」の発見"だった、といった感じでは。

[sirouto2]善悪の近代的分割と、その残滓=幻想

911テロでは主奴の弁証法ということが言われました。支配的な体制およびその下にいる者は、失う物があるので犠牲を払えず、主人の方が主体的に振舞えないという逆説的情況のことです。理系的に考えればゲーム理論の瀬戸際戦略的なことでしょうか。


悪と狂気の混同に関しては、興味深い問題提起だと思います。「公明正大」というように、公共的で明示的で正統的で普遍的(大多数的)なものが善とされます。つまり集団全体の共約的な行為の規範です。しかし、近代以降は善悪の分類の恣意性・構築性が注目されます。何か。


例えばよくネットで著作権が議論になりますが、特に情報技術のようにアーキテクチャーの進歩によって環境が一変する分野では、何が善で何が悪かというのは自明ではなく規約的なものです。無断リンク禁止問題なんかも感覚で決められないでしょう。


そのように善悪は議論の中で相対化しえますが、狂気はそれとは一線を画した、ある種の絶対的な境界を感じさせます。だから通俗的な作品では狂気=悪の図式が安易に用いられやすい。しかしここで、逆に狂的で白痴的な享楽を核にして共同体が成立することがあります。それが「幻想」がもたらす全体性です。具体的には(マス)メディアのスペクタクルが体現します。

[zonia]てきとうにまとめてみた

理解できる 理解したい 共存したい 脅威である/怖い 相手に対する認識・態度
× × × × 見下し
× × × 無関心
× × × 興味
× × ×  
× × × 狂気・畏怖
× × 興味
× × ストーカー
× × 敵対視・悪・回避
× × 興味
× × 研究対象
× ×  
× 仲間・友達
× 研究対象
×  
×  
同盟

こういうレイヤーのとり方でいいんだろうか。

[natu3kan]

ああ、確かにそんな感じですね。表にするともっと判りやすくなった気がします。
ヒトの形をまとっているものは予測不可能な天災であっても人の所為にしてしまう、というかヒトの作為があったように錯覚してしまってましたよ自分。
なんか、産婦人科騒動と同じ感じで。
手を尽くしたのにダメなら人災……みたいな。

[mind] 真・善・美とか、個人/集団の価値観(モノサシ)について

問題意識として、真・善・美の一般基準(モノサシ)があったら便利なんだけど…。
>美しいってのは、誰もが(善いことである)理解しやすいことなのかもなあ。とか。
>受け入れられないことの説明や解釈が困難なものが「狂気」。
>情報技術のようにアーキテクチャーの進歩によって環境が一変する分野では、何が善で何が悪かというのは自明ではなく規約的なものです。無断リンク禁止問題なんかも感覚で決められないでしょう。…善悪は議論の中で相対化しえますが、狂気はそれとは一線を画した、ある種の絶対的な境界を感じさせます。だから通俗的な作品では狂気=悪の図式が安易に用いられやすい。
> ×理解できる  ×理解したい  ×共存したい  ○脅威  => 狂気・畏怖
――「説明が必要なの?」と小娘に焚き付けられてしまいそうだけども;
 

美とは ――{美人と平均顔との感覚関係 をとっかかりに。

理論的に説明/理解困難な場合、観察dataから帰納的に考える手法もあり。理詰めじゃなくて、感覚的/統計的に。
(平均顔ギャラリー)http://www.hc.t.u-tokyo.ac.jp/facegallery/index.html
(「美人」の定義)http://www.timebooktown.jp/Service/clubs/00000000/f04/f04_02_02.asp
(勝手な要約)
 年頃の女性の顔の特徴を平均化すると、ノイズが消えて(平均顔)、あら結果的に「美人」が出来上がる、理論的には摩訶不思議!?
 平均に近づく程ちょっとずれただけで大きな減点。平均から外れすぎると識別記号化。両者の間に「不気味の谷」が観察され。
 

善 =美しい行動規範,行動の美学

真 =美しい現実シミュレーションモデル,(機能美を持つ)機能的なモデル

……美しい国

と考えて行けば、いろいろな「価値」に一般化できそうです。
(その他の資料)http://b.hatena.ne.jp/mind/20061122
 理論的説明も考えてみましたが…。小娘に一蹴されてしまいそうなのでまた今度。