闕語としての萌え。

七里の鼻の小皺 - 対象をもたない愛(1)――「萌え」・「大切な何か」・『トップをねらえ2!』・『Anisopter』
眼が醒めるような萌えの解釈。
上の記事が凄かったので、たたき台に萌えとか語りたいなあとか思ったのだけれど、思いつかなかったので、とりあえずメモだけ。萌えが届かぬモノへの邁進、いいかえればよく皆が希求し、でも掴めずに口々に口ずさむしかない「永遠の愛」とか「大切な何か」みたいな形容しがたいイデアなのではないか、みたいモノじゃないのかって指摘は鋭いなあと。性欲の隠蔽とか考えてたのですが実は「性欲」がメインじゃなくて『隠蔽』がメインというかそういう感じがしてきた。語りえないことや語りたくない大切なことを隠蔽するというか、それを直接語らずに素晴らしさを表せるというか、そういう効果みたいなのを感じました。
 
こう、その解釈では萌えの一側面しか捉えられないとか、やっぱり性欲だとか、なにか意見がある人は、コメントよろしくお願いします。
 
追記:語りえぬ愛(美?)には萌えねばならない?

[sirouto2]永遠の愛と刹那の恋

(固有の人格に対する近代的な)「愛」と「萌え」は対極的ですね。「ネコミミ」とか「スク水」とか「貧乳」とか表層の要素への執着が萌えでしょう。萌えは夢中にはなるけど飽きるから「永遠」は大袈裟ですね。萌えは子供っぽいところがあって、むしろ「刹那の恋」だと捉えています。「あ、いまの眼鏡を掛け直す仕草萌えた」みたいな。まだしも「燃え」の方が近いでしょうが、直接「永遠の愛」ではなくて、永遠の愛を見出せそうな魅惑的な徴候(一目惚れ的な何か)、という位ですか。ただ、泣きゲとか萌え要素オンリーじゃない気もします。

[guest]

# nanari 『nanariです。とりあげていただいて、ありがとうございます。この言葉の現在の使われ方からすると、「萌え」は、「フェティッシュな性欲」として理解されてしまうのかもしれません。ただ、歴史的な視点を失わずにおくなら、この感情が、たとえば手塚の宝塚への憧れや、宮崎の白娘に対する不可能な恋などと、無関係であるとは言えないのでしょう(この点については、ブログであびゅうきょについて書いた際に、少し触れました)。「萌え」は、ある種の「集団的なフェティシズム」かもしれませんが、しかしフェティシズムは、性的消費行動だけの問題ではありません。それは、失われた何か(フロイトにしたがうなら母親の男根)を回復しようとする欲望の表現でもあるわけです。「萌え」の現在は、データベースに基づいた消費のメカニズムによって記述しうるものなのかもしれません。しかし、その消費を駆動している欲望自体について考える余地は、まだ残されています。
正直なところ、「萌え」という言葉によって想起される市場の消費原理について語ったり、あるいは、その言葉の現在の使用法を一義的に定めようとすることには、あまり惹かれません。むしろ、「萌え」という言葉をとおして明らかになってきた、日本の広義のマンガ史に潜在する、ある欲望の系譜、不可能な恋情の系譜に、大変興味をそそられます。こうして「萌える」という感情を、現在の使用法とその受け取られ方から解放して、より広い文脈でとらえ返す必要があるように思います。』 (2006/11/07 08:21)

[natu3kan]閾値が一時的にでも突破したら萌えって感じですね。

刹那の恋かあ、たしかに。あと自分が「永遠の愛」というくだりを使ったのは永遠という長さよりも歌謡曲とか詩みたいなモノで語られる「形容できないけど伝えたい何か」という意味というのか、語れば語るほど笑われるし自分すらバカバカしくなるのに希求してしまうモノという文脈で引っ張ってきたかっただけなので、sirouto2さんの解釈でいいと思います。伝えたいけれど語れば語るほどバカにされる。「努力すればむくわれる」とか「闇の向こうには光があるんだ」的な言い回しとしての「永遠の愛」とか「世界中の人は分かり合える」みたいなモノといえばいいのかな、ふとした相互理解でソコから無限や永遠を幻視してしまうけれど、客観的に見るとそれが無意味な楽観性であると認識できてしまう(人がもつメタ認知能力が生む)物悲しさっていうのかな。

[sirouto2]真実の愛と虚構の萌え

  • >「形容できないけど伝えたい何か」という意味
  • >ふとした相互理解でソコから無限や永遠を幻視

それは「真実の愛」というときの「真実」ですね。「真実の愛」「事実の性」「虚構の恋」という、「聖-俗-遊」みたいな三図式を考えています。古典的な「大人」は恋→性→愛という成長(結婚が典型的)をするけれど、現代的な「オタク」は大人の愛からズッコケて、更に(異性との)性からもズッコケて、可能的で虚構的で表層的な萌えという形でのみ、恋愛的な次元に関われるという、そういう悲喜劇だと思います。ただし、実は「真実」と「虚構」は紙一重なのと、「燃え」はもう少し熱いという部分は興味深いです。
 

[natu3kan]虚構とは不変である事? 永遠と真実の不変性。

真実も永遠もある種の不変であるという意味での虚構性は等価じゃないですか。
真実はいつも一つ! とか体は子供で頭脳は大人な小憎いヤツがのたまうくらいですし。(でも事実は一つだけど真実と本当のことはそうでもないわけで)
たぶん、自分が「真実の愛」という言葉に思い当たらなかったのが、愛という文脈が通常は真実の心という意味で使われるからなんだろうなあ。とか思いました。ギャルゲに於ける愛は常に真実じゃないですか。『秘められた思い=常に真実』みたいな。
たとえば。愛について何かというのを疑うって視点がゴッソリ欠けてる。愛を疑うとまあ「天使のいない12月」みたいなこの愛はお互いの一方通行で『互いの愛の形は違うから愛し合っていても通じ合うことがなく一生、平行線のままないんだー』みたいなある種の鬱ゲーみたいなのになるわけで。なんつーのかな、虚構性は不変性のことを言うのかもしれないですね。サザエさんじゃないけれども。と萌えから脱線してしまいました。

[sirouto2]萌え空間は可変の虚構

  • >真実も永遠もある種の不変であるという意味での虚構性は等価じゃないですか。
  • >ギャルゲに於ける愛は常に真実じゃないですか。『秘められた思い=常に真実』

「愛」も虚構という点では同じですけど、産まれた子供の面倒を見ろとか、そういう現実の責任まで求められますね。対してギャルゲの『秘められた思い=常に真実』は、基本的に(片想いの)恋だと思う。「常に真実」というのは、外部からチェックしようがないから真実という感じですね。例えばセカイ系はきみとぼくの宇宙だから。それに「萌え」にはもっと可変性・消費性があるような気がします。つまりハーレムで色々なタイプの女の子がよりどりみどりとか。色々な服を着せ替えられるとか。そもそもギャルゲ内でも恋愛のことを萌えだといっているわけではないですし。私自身としては、萌えの根本的な幼稚性・退行性を押さえた上で、それでも可能性を見ていこうと考えています。