データベースとオートポイエーシス

http://d.hatena.ne.jp/tosakusha/20060628/1151490983
上の議論の流れみたいなものを図式化してみました。

  • ちょっとこの図式には不備があって、というのは読者側の解読装置としてのデータベースが入っていないところが問題。

同じ色が同じジャンルだと考えた場合、データベースと作品はお互いに影響しあっている関係だと言えるでしょう。ある作品の作品内容がデータベースとして分解できないとしたならば、そこからデータベースが拡張され、そしてデータベースから新しい作品が生まれ、というような。安直に例えて言うなら、ルーマンの「複雑性の縮減」という形になるかと。これが恐らく定跡と定跡外しの関係になると思われます。で、ヨコの関係が、natu3kanさんが言っていた

物語分野全部で定跡なのかもしれないけれど、普通定跡といったらギャルゲとかミステリ小説とか純文学とかギャング映画とか狭い分野の定跡を指すような気がします。

という部分です。で、この図式で気になったのは「作品A」「作品B」という作品関係、あるいは作品Aとデータベース赤との影響関係というところで、この辺りはあることにはあるんだけど、なかなか生まれにくいというような。あと、もう一つとして気になったのはErlkonigさんやkagamiさんが言っている問題ですね。

「物語なんて同じパターンばかりで既に大量の作品が存在するのに、さらに創作をしようとする人の心理が不思議だ」みたいなことを言っている人がいたんですけれど、問題として通じるところがあるようなないような。

これってポルノグラフィにもいえそうな。どうせセックスするんだからなんて描くんだよ!っていう話になると思う。例えば『新現実Vol.1』の大塚氏×東氏対談で、その辺りに作家性を見いだすか見いださないかというところで別れていたとおもう。

技術問題

あと、定跡問題でどうしても見逃されやすいのは技術問題のような気が。つまり、いくらパターンがあってもそれを扱うエンジニアの知=技術の知が必要で、そのあたり見逃されやすいかなあと思いました。