DB化の逆利用

どうもこんにちは。書き方よくわからないけど、これでいいのかな?*1
早速ですが、
http://d.hatena.ne.jp/tosakusha/20060627/1151439031
を読んで、DBは逆利用に適しているのではないかと考えました。
DB化の弊害として「物語がどのように展開するか先に分かってしまい、
しかもその通りに展開する」というのがあるような感じがします。
そのように先が読めすぎてしまうのも面白くないので、DB化を上手く
逆利用できるといいなあと。つまり、わざとDBを外した作りにするのに、
DBを使用するという感じで。

[nisemono_san]自明性の問題かな

データベース逆利用というのは、ミステリでいうところの叙述トリックのような気が。要するに「A→B」と普通考えるところを、そうなる必然性はなくて、実は「A→C」だったみたいなことだと思うので。ある意味ではデータベース消費という発想とこういうミステリの結びつきというのは大きいのかも。違うふうに考えると、ミステリ以外で活用できないか、とか。そうなるとギャグマンガくらいしかないのかな?*2
あと、データベース逆利用形式でいうと、世界観に対するメタ世界観的な問題とかありそう。データベースとはいえ、データベースを処理しているOSみたいなものがあるわけで*3、そのOSを問いにするという形とか。要するにメタDBですな。

[natu3kan]

話がまとまらないから、自分は議論向きじゃないなあ。
といいながら書いてみる。
 
要素っていうのか、DBってのはソフトでDB外しはオプションなのかなと思ったり。要素の組み合わせで起動するソフトが違うというか。
魔法の詠唱じゃないけれども要素の組み合わせを少し変えると効果が全然違うとか……。

データベースを逆手に取ったというと
OVA版のバトルアスリーテス大運動会の最終話が真っ先に思い浮かびました。
主人公とライバルとの最終対決で主人公の方は悟り開いちゃって
明らかに主人公が勝つってのが見えてるのに、
主人公側のキャラがライバルのキャラをあえて応援するみたいな、気配りというか。
結果が見えてても、こう深みを持たせる使い方もできるかなとか。
 
展開が見えるっていうのは、思ったとおりに展開するというより
現実に自分たちが行う未来予測と同じで
飽くまでギャルゲの選択肢みたいに
今後への展開の可能性がいくつかに絞られた状態になってて
その中のどれかに納まるだけという場合の方が多いような気もします。
先の展開を人がどう読むのかをモデル化したのがギャルゲの選択肢ではないかと、こじつけですが。

読み手総細木和子現象みたいな。
可能性のどれか一つに定まったら当たった気分になるっていうか。
 
スポーツみたいに他人という不確定要素がなく一人で作るから
決闘で主人公が死ぬのか? それとも敵を殺せるのか? みたいなドキドキはあまり感じられないのかもしれないですけれど。
 
展開が見えるのがイヤな人はギャルゲーをすればいいということで(ある程度恣意的に展開を制御できるという点で)
もしかしたら、先が見えるのに飽きた人たちが自分で先を操作する楽しみのためにギャルゲしてるとしたら、ギャルゲとかエロゲとかしてる人は未来人なのかもしれないなあとか。

[sirouto2]定跡

定跡を知らないと定跡を破れないみたいな話ですか。プロ棋士も定跡は部分的に使っているし、高速道路が目的地まで直結しているわけじゃないわけですね。車庫入れの技術も必要です。

[sirouto2]先が読める問題

バトルマンガは主人公を殺せないで必ず勝つのが見えてしまいますが(死者が生き返る反則を使えば、今度は生死自体がどうでもよくなる)、スポーツマンガやグルメマンガは死なないので、バトルよりかえって手に汗握るというところがあります*4。(TV版)バトルアスリーテス大運動会の場合は、途中から精神論が突出して好き=強いの構図になりますが、そうするとある種の予定調和になってしまいます。ここでJOJOはずっと唯物論で通してるのが凄いと思います。(ただ途中から「敵が弱い」という批判はあったようです)

[kagami]定跡外しの為のDB

AIRなんかエロゲの定跡外しまくりだと思うんですね。後、ファントムとかも。
そういうのがまず出てから、それらの亜流がどかどかでてきますが、
どうやって一番最初の作品(AIRとかファントム)とかを作るか考えたとき、
体系的なDBがあったら、その中にないアイデアを考えることでそういう作品が
作りやすくなるかなと思います。みんな新しさに飢えているようなところが
あると思いますので…。コンシューマゲーで言えば、「バトルRPGでは主人公は
死なない」を逆手に取った「俺の屍を越えてゆけ」みたいなのが受けたのは、
定跡外しの力がみんなに評価されたというのがあると思うのですね。
参考URL
http://homepage1.nifty.com/~yu/oreshika/memorandom.html
http://homepage1.nifty.com/~yu/diary/200109a.html#10

[natu3kan]定石は非定跡。

AIRとかPhantomですかー
他の分野の定石は、別の分野では斬新ってのはありますよね。
そう考えると定跡なんてのは狭い分野にしか対応してなかったりして
定跡に囚われると面白い発想が阻害されるのかも。
物語の面白いところは他の分野の定石を援用できる柔軟性なのかもしれない。
物語分野全部で定跡なのかもしれないけれど、普通定跡といったらギャルゲとかミステリ小説とか純文学とかギャング映画とか狭い分野の定跡を指すような気がします。
そういえばTRPGのリプレイじゃないけど
物語の区切りがきたところでサイコロをふってランダムに登場人物を殺す小説書いたら面白いんじゃないか? みたいな事を知り合いと話したのを思い出しました。
主人公だろうが重要人物だろうが賽の目次第で死んじゃって
場合によっては脇役みたいなのが主人公になるみたいな。
書いてるほうも展開が読めないからいいけど、ガイドラインとかアリガチが使いにくいから書くの大変だろうなあとか。
 
でも、みんな物語に展開の斬新さを求めてるかといえば別にそうでもなかったりしますよね。
ギャルゲなら女の子とまったりしたい、とか少年漫画とかだと主人公が窮地から逆転するときの感動を味わいたいとか。
主人公が血まみれボロボロなのに動いてるところに感動したいっていうか。

  • >でも、みんな物語に展開の斬新さを求めてるかといえば別にそうでもなかったりしますよね。
    「物語なんて同じパターンばかりで既に大量の作品が存在するのに、さらに創作をしようとする人の心理が不思議だ」みたいなことを言っている人がいたんですけれど、問題として通じるところがあるようなないような。[Erlkonig]

[setofuumi]エロゲの消費のされ方が良くわからない

俺が強烈な「作者萌え思考」の持ち主だからだとは思うんだけれども、俺がエロゲやラノベの楽しみ方でよくわからないのが、物語の中から要素だけを切り取って楽しむというような部分。例えば、作品中の猫耳メイド美少女を素敵だ!と思うことはあったとしても、それは最終的に作品の評価に含まれて独立しない、とでも言うか。なので、安易な二次創作や、いわゆる「続編」だとか、5巻10巻と続いていくラノベにはあんまり魅力を感じなかったりします。でも、その中でも「作者」と「物語」が無視されてるってわけじゃないよな、というのも感じていて、そこの折り合いはどう付けているのかな、と気になったりすることが。

  • [zonia]キャラクターに萌えるってのはつまりキャラクターを1つの人格として認めているということで、逆に作者萌えの場合はあくまで作品内の登場人物としか捉えてないということじゃないでしょうか。作品萌えとの違いがよくわからなくなっちゃいますけど。
  • [setofuumi]反応もらって気が付いたのですが、要素を切り取って個別に楽しむのは自分にもあるようです。zoniaさんやmizunotoriさんのいうような感覚はあるんですが、それは(REVさんの図でいう)データベースという横幅の大きいものには繋がっていない感じがします。データベースの項目で横に繋がる感覚がわかっていないのかも。全ての要素が直に「自分自身」に繋がっている感じ。なのでそれは(簡単には)横に繋がらない。

これはかなり投げっぱなしな推測ですが、自分にとって情報収集がネットではなく、本屋で本を買うというのがベースにあった(過去形)からかもしれない。

[REV]


*5



神界   作者           データベース
      ↓           ↑  ↓  ↑
     作品を       作者が   ↓  2chで祀る
     下賜        作品を  イコン(キャラクター、萌え要素
      ↓        上奏    ↓
      ↓              ↓
地上界  読者             ユーザーの快楽

こんな図式を考えています。
これは、こうやって受容されるべきだ、とかそういう価値判断じゃなくて、私が現状をこう考えている、というものです(おそらく、東氏の考えですね)。クリエーター側の努力と、ユーザー側の祀りによって、作品群(DB)は神界へと押し上げられ、神格を有する限り、キャラクターや萌え要素を媒介として、われわれに享楽をもたらすのです。一旦、作品群が神格を獲得すれば、作者も一司祭でもかまいません。

[mizunotori]

ツンデレに対して素直クールが生まれた経緯は、見事にDBの逆利用だったなぁと思いつつ。
>>setofuumiさん
「切り取って楽しむ」ことも作品の一部と捉えているんじゃないでしょうか。安易な二次創作も、作者萌えも、2chでの祀りも、全部まとめて「作品」。一つ一つのエピソードを抜き出して「このエピソードが好きだ」というのも、結局は「作品が好きだ」に還元されてしまう。たまに「○○(作品名)は好きじゃないけど(2chの)○○スレは好き」と言う人もいるし、あるいは「この作品の本文は嫌いだけどあとがきは好き」と言う人もいる。でも、それら「部分の評価」が総合されて「作品の評価」となっている。と自己分析。もちろん、正式に「作品の評価」と書かれた時は、本文に限った評価になりますけど。
だから別にsetofuumiさんの楽しみ方と変わらないのではないでしょうか。自己分析ですけどね。

[mind]

 よく、キャラが作者の手を離れて一人歩きを始める…と言いますが、
どういう条件,過程で作品(群)が「神格」を獲得できるのかに興味を持ちました。
最近の事例では、アキバトロン,萌理賞,とか渡辺さんシリーズとか…。
 これは作者の頭の中だけで完結できる過程なのか、読者とのやりとりで空回り逸脱を繰返して初めて産まれる世界なのか…
キャラの属性設定をDBに追加していくだけで必然的に到達できるゴールなのか…
(蛇足) もしかすると、これはαブロガーとか芸能人とかカリスマ…etcにも言える話なのかも知れませんね。

[REV]

 これは、人気のロケット打ち上げ衛星軌道理論の出番ですね。
 作品の完成度(例:ハルヒダンス)、作者の視線(HPL+ダーレス)、読者の視線(=2chの祭り)。
 行動原理を確立したキャラクターが、作品の中で一人歩きする現象と、ユーザー間で一人歩きするキャラクター(ちゅるやさん、可憐な人、わはー)は区別すると吉かと思います。

追記:現代社会での、よくある幻想が「通貨」と「国家」で、個人の妄想が、強固な共同幻想に変わるプロセスが、mind氏の興味の対象じゃないかと思います。ブランドの自立、なんかもそうかな。

[Vane]

単なる幻想ではないかと思いますね。
カリスマとか神性というものは、「他の人がきっと○○だと思っている(○○の中には、カリスマや神格が入る)」と(自分が)思っているだけで、実在するものではないと思うのですよ。
その条件はつまり、「他の人がきっと○○だと思っている(○○の中には、カリスマや神格が入る)」と思わせればいいわけです。……とはいっても、それをどうすればいいのかは全く思いつきませんが。

それと、「キャラが作者の手を離れて一人歩きを始める」というのは「作品の神格」とは全く異なります。
「一人歩き」は作者本人で完結できますが、「作品の神格」は他者の存在が必須だからです。
(ここで私は「キャラの一人歩き」は執筆中の作者におこることとして扱っていますが、二次創作や文芸批評によって「キャラの一人歩き」がおこることもありえます。というか、mindさんは後者のように考えているようにも思えます)


追記
キャラの一人歩きには大まかにわけて、次の二種類が存在する。

  • 作者の中で行動原理が確立する
  • (一定の)読者の中で共通了解が成立する

[mind] <実体作者の2重性,<出力作品の神格,<キャラの一人歩きの2重性,

  • 作者世界 「DB作者君」     神作品記号群 (作家の中で一人歩き)
  • 社会世界 「PC読者君」     信者ども   (読者の間を一人歩き)

 ↑重なり合う。↑
 
なるほど、私は社会系の現象に注目しているみたい。ただこれも作者の認識の内部に織り込まれてくる。ゆるゆる考察続行…
  衛星軌道理論 << なるほどアノ理論ですね。ということは、a.着地(振出しに戻る)と、b.ぐるぐる周回円軌道との、2つの安定系があって、もしかすると「他の軌道」もあり得るとw
  カリスマは幻想 << 「幻想的なものとして(人々の頭の中に)実在する」と言っていいのでしょうか@@!
つまり、人の認識が客観的言動に表れて、それが他人の認識に吸収され、それがまた言動に表れていく…。この反射と伝播が繰返されていくわけです。
そうやって、着地軌道から、円軌道に移行/相転移するためには、なんらかの「謎のエネルギー/仕事」なりが必要と。
たとえば、秀吉がハルヒを抱きかかえて、「皆の者、控えい! ハルヒ君にあらせるぞ!!」と、そして子分達は祭り上げなければならない「空気」に従う…w こうしてドミノ理論で子分の頭が倒れていって……; 上手く行くと、コミュニティ内部に「ハルヒ≡神」の共通認識が成立つ。
 
 その場合、{作者の2重性 の問題が気になります。

http://d.hatena.ne.jp/tosakusha/20060628/1151461074
[sirouto2]ブロガーの作家性・編集性・読者性
「読者の作家性」という話…、同人では「作家の読者性」。ブロガーというのは作家(記事)、… 読者(ブクマ)、いずれの立場にも立てるので、そこに可能性があって、今回のこの公開編集もそういうブロガーの多重人格的側面をリミックスして創造性につなげようと…

 というわけで、もちろん職業作家も、読者の立ち位置に立つ場合が在る。萌理賞応募した方は体感されたでしょうが、推敲というのは、作者の立場を忘れ、虚心に読者の立場になって、客観的な文章を評価する、評価しては作者に戻って創作/手直しする、…の繰返し作業です。
つまり、作者という物体は、神の側に立っているとも言えるし、読者の側に立っているとも言える。そうやって分裂していく。
 
 ここでもし、分裂「読者」が中心的な読者層から外れていたと仮定しましょう。すると、推敲が上手く行かず、作者の独りよがりに近い作品が出来上がる。これでは、マーケッティング的には失敗を免れない。*6
 次に、分裂「作者」が中心的な読者層から求められる「理想的な作者像」からズレていたと仮定しましょう。

  • たとえば、技術には長けているが、やっつけ仕事で投げやりに創作した作品が、ど真ん中ストレートに読者の支持を獲得してしまったり…。

すると、作者(分裂「作者」)はもう熱意なんて失せて、でもカネになるから食いつなぐために、アンケートと編集とから求められる「理想の作者像」を演じる"奴隷"として、「他律的に創作」を続けなくては行けなくなったりするわけですw ;なんでもジャンプの『忍空』の作者がそんな感じだったという噂ですが…;

  • 対して、サブカル的作者が、真に熱意を込めて上梓した作品は、メインに受けなくても どこかのサブでは熱狂的に指示されるかも。*7

 けっきょく、(分裂「作者」と分裂「読者」)が、(そのコミュ内の、中心的な神 と 中心的な信者)に一致した場合に、ぐるぐると安定軌道に打ち上がる、ということが言えそうです。
 
 これを一致させる段取り手続き,カラクリというか「創作アルゴリズム」が問題なんですが、

  • そんなものはないw  つまり巷間を浮遊している萌えキャラetcの属性設定をDBに追加していくだけで必然的に到達できるゴールではないと!

ただ示唆できるのは、

    • targetの生の性質、及び生の環境状況をよく観察すること、

    ――地に着いた読者へ感情移入して、分裂「読者」を演じる条件。

    • まめまめしくinteractiveに反応を探り合うこと、

    ――失敗の早期発見、バグ出し。

    • targetが「欲しい」と意識的に表明するモノではなく、targetにこれがあったら幸福になれるだろうな、を探す。

    ――素人には到底想いも及ばない専門家/造物主の視点。
てな感じの、正に「全能の母なる神の恩寵」が求められている…
ということでしょうか!?
 結論を言えば、実体作者の頭の中のぐるぐるも、実体社会の中の(作者←→読者)のぐるぐるも、その2つのぐるぐるは、
作者と読者の認識と言動の繰返しプロセスを通じて、どうやら連続しているみたいだと@@?
――意外なことに、文芸創作活動もシステム開発,科学技術や民主主義の発展みたいな歴史プロセスと親近性が在るみたいです。
ie. 専門家と、一般社会大衆(パトロンであり受益者)との関係も参考に。
cf.囚人の共有知? / 創作 / device http://b.hatena.ne.jp/mind/%e5%89%b5%e4%bd%9c/device/
http://blog.japan.cnet.com/nakajima/archives/002837.html
http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0606.html#14t1

*1:書き方については特に制限はございませんので気楽にどうぞ[nisemono_san]

*2:全日本妹選手権』とか[nisemono_san]

*3:[massunnk]Googleみたいなもんでもイメージすればいいのでしょうか?

*4:バトルマンガ(少年マンガ)と文法の破壊というテーマに関しては、以前読んだこちらの記事が面白かったのでとりあえず紹介だけ。http://www006.upp.so-net.ne.jp/rindou/2004.09.html#01[nisoku2]

*5:下を図式化してみました[nisemono_san]

*6:ただし、細々と長年の支持を得る名作とか、時代の変化に応じブレークしたり。

*7:cf. 多くの場合2次創作というのは、エロ化とかヤオイ化とか、現実の作者が想定したメインストリームtargetから外れたコミュニティ内での盛上がりですよね。