作品のブランドイメージ論

 と解釈してもいいのかな。
 コカコーラの味、空冷から水冷に換えたポルシェ、直6からV6に換えたベンツにスカイライン、直6を選び続けたBMW
 企業(ブランド権利者)にとってみれば、守るのはブランド資産でなくて、会社の資産なので、自動車であればレースに投資することでブランドイメージを高めることもあるし、ブランドのワンポイントをつけた手ぬぐいを作らせて小銭を稼いだすることもあるでしょう。
 今回の問題は、ブランドはオリジナルの発案者のものか、経営者のものか、株主のものか、それともユーザーのものか、そういうところにあるのかな。創作の場合、ユーザーの忠誠心がタイトルのブランド価値をもたらしているので、いろいろ難しいところはあるかもしれません。ともあれ、根拠無しに可能性を重視するのは、トマト冷麺理論かなぁ。

[sirouto2]大根理論

単に原作ユーザから見て大根に見えれば、座布団を投げるということじゃないですか。萌え株を買っている人ならともかく、ふつうはブランドイメージまで考慮しないでしょう。そもそも、ハード原作主義者(HG)は、アニメ化自体認めないかもしれません。だからむしろ、ブランドイメージ論を展開するなら、HGに対して、納得のいかないアニメ化でも、DBの幅を広げるという価値があるからガマンしろ、というロジックになってくるのでは。

[pavlusha]

 初めまして。
 個人的な記憶に頼って言うと、原作モノをアニメ化したら原作ファンから「原作のイメージと違う」という不評を受けたという例は、『うる星やつら』などでもあった話ですね。最近では実写版『デビルマン』もえらく不評だったようですが(実はまだ見てない)。
 このような反発を生む認識は、ぱっと素朴に考えると「参照元の原典そのものの価値を毀損した」というものに見えますが、価値の毀損、つまり相対的に高い価値が相対的に低い価値へと貶められたという落差の認識を前提としていることを考えると、この認識においては“原典の価値”が温存された状態のまま、
「原典の価値>派生作品の価値」
という価値判断、つまり単項の絶対的価値判断ではなく複数の項での間の相対的・不等式的価値判断が行われています。
 この判断の中での原典の価値は、外部的な参照項として派生作品の価値とは別に定立されていますが、派生作品が原典の領域に達することが決してないというわけでもなく、観察者によってはある派生作品がその原典に準じたものとして、あるいは原典とまったく同様の超越的参照項として、あるいは原典とは違った意味での外部的参照項(別の原典)として認識されることもあります。
 先の例で言えば、アニメ版『うる星やつら』は原作ファンとはまた異なった認識空間、例えば「オシイスト空間」などでは“原典”として認識されているかもしれません。
 で、以上のことは商業ベースの派生作品(コミック→アニメ、アニメ→ゲーム、小説→アニメ、エロゲー→アニメ、またはこれらの逆、その他いろいろ)について考えてみたものですが、同人二次創作の派生作品についての認識がどうであるかを比較検討してみると、例えば同人作品に対してはオフィシャルな派生作品に対するものと同じような「ブランドイメージの毀損」への反発は起こりうるか、また起こる(or 起こらない)としたらそれは何故か、といったあたりから、何かヒントみたいなものが出てくるのかなー、という気もします。
 まだこれ以上考えがまとまっていないのですが、とりあえず思いついたところまで。

[mind] ブランド論を、人間の感受性、行動反応から考えてみます。

 ブランドが、自己をidentifyする表象記号として機能しており、装着者もそれを意識/期待している場合には、単なる傍観者としての座布団投げだけ では済まない、他者という鏡の反射による複雑さがある。
 他者(自分がカッコつけてみせたいコミュの人々)が、『○○』という記号を聞いたときに、その記号が貼付けられている(自分) という実体に対して、どういうイメージを喚起させるかがポイントでしょう。そうだとすると、オリジナルのファンの人々は、製作/著作権者による「移民(新しい血)」導入判断に対して、

  • 後続の「忌まわしい移民」を視なかったことにして『○○』の純潔を守り移民排斥さらには分離独立を図るか、
    • ;「オリジナルとアニメ版とはぜーんぜん別物、似て非なるmono! (我々は我々だけで楽しく仲良くやってるんだから邪魔しないで)」
  • 雑多な中でも同じブランドを掲げつつ、それなりに自己個人の居場所を見つけて共存するか、
    • ;「まあいろいろな観方があって個々の作品について良いところ/悪いところがあった。だけど とどのつまり、ぜんぶひっくるめて『○○』は『○○』と言えること自体が『○○』の良いところだよね…。(次回こそは私好みの展開欲しいなぁ、まあ望み薄だけど)*1

という決断を迫られているのかも。
 全体のパイを増やすから我慢しろ? …うーん…。これまた、国体(コミュニティ)が先にあるのか、仲間の人々が先にあるのかという…ぐるぐるパラドックス。すくなくとも、ファンを喜ばせるために存在する建前となっている、製作/著作権者には言われたくないかも*2
 ぐるぐる空回りじゃなく地に着いた個人を考えてみる。人間という動物の忌避感について、全く別のモノよりもむしろ、似てるけど「微妙に」違うモノに対する評価がボロボロになる場合がある(「不気味の谷」現象)ことは要注目です。しかし、冷静に合理的に考えるとどちらがトクなのだろう…@@?

[kagami]アニメの近衛素奈緒に萌えた

アニメの近衛素奈緒に萌えた私としては、「つよきすアニメは原作を無視した駄作!!」とか、激しい批判は辛いですね…。周囲の評判がいくらつよきすアニメは駄目と云っても、私は自分の感覚を信じているので、つよきすアニメを今後も視聴楽しみにしています。素奈緒たん、共感できるええ子なのに…。私と趣味が同じ(演劇好き、シェイクスピア好き)ところも好感。私は素奈緒たんみたいに演じる方ではなく、見る方オンリーですが(^^;

[REV]ブランドと差異化ゲーム

尊厳ポートフォリオhttp://d.hatena.ne.jp/kanose/20060711/Dignityportfolioとも関係があるかな。
初級者は、作品を単なるプロダクトとして消費し、別に差異化ゲームの道具にはしない。
上級者は(?)作品を、自尊心の源泉にしないくらい、上級だったりする。どちらが原因でどちらが結果だかは不問に。
で、この間に、「○○」という作品を読む自分、「○○」というカテゴリーを消費する自分、という自尊心のありかたがあって、話がこじれやすいというか。

[REV]オタクと脳内世界形成能力

http://d.hatena.ne.jp/./kazenotori/20060714/1152815810
オタクは、作品そのものではなくて、作品によってつくられる脳内世界を享受しているので、脳内世界を毀損する「正しくない」アニメ化を忌避するのではないか、みたいな話。ブランド消費とは、「脳内世界」の享受、という側面があると思うので、オタクに限らない話だとおもうんだけどね。
 例えば、ミツビシ車だと200万円で、バッジ違いの北欧車が220万円なら、ブランド代が20万円で、消費者は北欧の頑丈な車、という脳内世界を楽しむとか、同じ白いTシャツに、なんとかというブランド名をプリントすると1000円のものが4800円になるのなら、ブランド代は3800円、とか。
 

*1:ガンダムシリーズを想定?

*2:実態は金儲け主義め臭いがぷんぷん!?