形成途中のデータベース

 俺はこのような考え方にちょっとだけ異議を呈したいと思います。というのは、データベースっていうと一般に作品と作品の間で働くように考えられているけれども、実は1つの作品の中でも作用しているんじゃないかっていうことなんですね。

 ある定跡が、ある作品(群)によって形成されるとき、必然的にその途上の状態が存在しうるわけです。「主人公のピンチにライバルが助けに来る」という定跡が形成される途上の、ベジータキター!っていう状態ですね。ベジータが助けに来るときに、既にベジータに関するデータは存在しているわけです。
 そういう意味で、俺はデータベースの逆利用とかいうんではなく、もう少し汎用な概念として再解釈というのを提示しているんですけれども。

 そのダイナミズムの視座を持たないと、萌えというものの豊穣さが見失われるように思うんですね。TYPE-MOONの作品はわりと意識的に変動するデータベースのダイナミズムを利用していると思います。
 車輪の再発明とかの話に関わってくるところかもしれませんが、データベースと言っても、それが宇宙開闢から存在していたわけではない以上、常に生成し書き加えられ書き換えられるものでもあるでしょう。むしろその変動するさまが面白かったりもするものです。

[nisemono_san]パッチとしての連載

遅くなりました。申し訳ない。
あー、なるほど。要するに作品の中においてのデータベースの配置によって、新しい解釈のされ方、つまり「ベジータ」というデータの中に「○○の理由でベジータが助けに来る」という上書き保存がされていると捉えたらいいのでしょうか?いわゆるサルまんのまとめ方を使うならばキャラクターは将棋であるという。上の図の難点というのは連載途中の時間軸は無視していて、完結作品においてのみ言えることでしかないというのはそれはその通りだなあと思ったりするけれども。ただ、読者側としてはそのデータベースをいじくっているレイヤーは見えないといえば見えないというか。むしろ連載最初はβ版で、そのデータベースにどんどんパッチをあてていくような様子を考えるとしっくりくるのだろうか。

[catfist]

上書きというと少々語弊があるかもしれません。なぜなら、“冷酷非道なベジータ”は必ずしも忘却されていないからです。むしろ、連載当初には「あのベジータが!」という驚きがあったはず。例えるならWikiの更新みたいな感じでしょうか。差分とか世代情報は、一見して見えないけど保存されているという。そういう意味では読者にデータベースの更新作業は“見えていない”かもしれないけれども、ちょっと深読みすれば更新情報は参照できると思いますよ。そうやって関連するWikiとか差分とか添付ファイルとかを参照するのがあるいはヲタ的な読み方であり、萌えかな、とも思うんですが。いっそ編集合戦に参加してみたりね。