雑誌/Blog
言いだしっぺなのでちょっと話題を乗っけてみます。人狼をやるようにまったり議論していただければ幸い。で、発端としてはsirouto2氏による「雑誌みたいなBlog」ということです。ではよろしくお願いします。
[nisemono_san]Blogの著者単一性とRSSの雑誌性の間
- 多くの方々は恐らく一人でBlogを書いている。その場合、どうしても個人が取り上げる視点/話題には偏りが出てくる。そこで、それらを相対化するために、そのブログを更新する人を複数にして、何かを語るということが出来るのではないか。
- 「雑誌」=「様々な記事」という定義を与えるならば、むしろ「様々な記事」が一つのブログにあるのではなく、一つのエントリにさまざまな記事があるほうが雑誌らしいとは言える。(cf.メールマガジン)
[nisemono_san]ニュースサイト問題
- 雑誌の場合において、信頼性が問題になるのは、それによって記事の検証作業がはぶけるということ→編集者
- しかし、マスメディアの権威が落ちるにつれて、記事一個一個に対する検証作業への移行
- 記事一個一個を検証するならば、むしろ単行本を買ったほうが早い
- 上で見るように、RSSリーダーは一冊の雑誌を作ることに例えることができるのではないか
- しかし、一つの雑誌が成立するまではかなりの負担がかかる→従ってやめてしまう場合が多い
- むしろRSSリーダーに登録するべきナビゲーターの必要性→ネット編集者?
- 雑誌の信頼性問題と重なる?→ネタへの移行(検証作業の不問化)
- やはり情報を自分で集めるよりも集めてもらうほうがらくだよね問題
[nisemono_san]問題
- 複数の人が一つずつのエントリを書くBlogの重要性は低下する傾向にあるのではないか?
- [zonia]自分の実感の話なんだけれども、たいていの人が突っ込みたくなるような話題の場合、はてブやRSSリーダーで放浪するだけで自分の意見の代弁者がいることが往々にしてあるわけで、その意味で自分の中でblogを書くモチベーションは下がっている感じ。でもそれが即重要性の低下につながるかはわからないけど。特に、ニッチな話題に関しては今も昔も重要性は変わらないのではないかなあ。
- [nisemono_san]なるほど、要するに「俺のほかに誰かが言ってくれる」ですな。とすると、その対極に位置するのは「炎上」だなあ。要するに「俺以外の奴がなんといおうとも俺がいいたい」っていう話だと思っているので。とすると、「表出」(叫びたい)と「表現」(意見を述べたい)問題になってくるのかな。
- [setofuumi]基本的に「その情報の規模を大きくしたい」という欲求があるとして
・情報を積み上げたい(掘り下げたい)=タテ
・同調したい、共有したい=ヨコ
の二方向があって、後者は実現されてる(Vipとか炎上とか)けど前者はあんまり実現されてる感じがしない、という実感を持っています。
- 各人が配信されるデータを好きなように編集するために情報にコミットする能動性が増える
- 相対的な情報提供者の重要性の低下(受け手という意識の低下)
- [mind] blogの重要性が下がった と言うより、情熱的な大手αブロガと,怠惰な弱小ピコブロガとの格差がいやがうえにも拡大していくということでは。そうやって、新しいもの好きに受容れられ定着したblogの繋がりが進化・構造化していく。すると、blogの持つ書き手読み手の対称的な万能ツールという面が分化していく。RSSの普及もその延長上にあって、無意識のうちにぐるっと回ってネットの中も、リアル世界のマスコミ独占時代のように書く人と読む人が再分離していくと…。そして、そのメインルートからはみ出された、中途半端なピコちゃんたちはSBMに走るw。はてブ は、最新の議題に触れたいという欲求,叫びたいという欲求,叫ぶのすら面倒だから「いち早くチェキ済み!」で見栄を張りたい欲求とかを、程良く満たしてくれている♪ ここから先に、ブロゴスフィアでの中心議題設定権争奪戦が始まる予感。
[sirouto2]ブロガーの作家性・編集性・読者性
「読者の作家性」という話を以前からしているんですが、「読者の編集性」もありますし、同人では「作家の読者性」が重要になるわけです。それでブロガーというのは作家(記事)・編集(ニュース)・読者(ブクマ)、いずれの立場にも立てるので、そこに可能性があって、今回のこの公開編集もそういうブロガーの多重人格的側面をリミックスして創造性につなげようというわけでしょう。