萌え系議論の整理

「萌え」と発情はどこまで結びつくか
昨日の記事が面白いのですが、議論が複雑で流れを追うのが難しいので、一行程度に勝手に要約して、更にコメントしました。強引な要約に不満もあるかと思いますが、その不満からまた議論を続けて頂ければ。


>nisemono_san
>そのような身体性を解除したときに「萌え」という感覚がありうる
それは身体性と記号性の中間にありますね。よく「萌えは記号(化)」などと言いますが、「生きた記号」でないとダメなのです。


>massunnkさん
>「萌え」というのは主に視覚的な快楽に由来するものです。
それは、視覚の情報量が多いからとも考えられませんか。
>僕はラカン的な意味では「萌え」と発情はほぼ完全に結びついていると考えています。
「発情」はセックスではなくオナニーかもしれませんね。萌えはフェティシズムとかナルシシズムとかに近いものでしょう。


>mizunotoriさん
>(純愛系の)エロゲーにおけるエロなんて、カップアイスの蓋にこびりついたアイスのようなもの
それは言い過ぎかも。ビックリマンのチョコでしょう。


>natu3kanさん
>萌えの扱われ方がフィギュアとかじゃないけど偶像崇拝に近い部分もあり
今まで見たキャラを「投影」しているのだと思います。


>sirouto2
>萌えとエロを両立させるのは難しく、萌え・エロ系のコンテンツはそこが腕の見せ所


>p_shirokumaさん
>萌えていてしかも発情の時って、シーン依存度が低くキャラ依存度が高くて、だからこそ脳内補完でキャラクターを刈り込んだり装飾したりして頭ん中で食べちゃう
補完は「燃え」かもしれません。
>エロに比べると萌えって、ちょっとだけ恋愛の課程に似ているのかもしれない
むしろ萌えは恋愛の退行だと捉えています。萌えとエロの短絡はセカイ系の構造に似ています。


>zoniaさん
>「萌え∧エロ」という領域は必ず存在するような気もするんですが、問題はそこに法則性を見出したいということ
記号性と身体性の中間領域なのと、もう一つ、妹や幼馴染によるコミュニケーションの成功の保証ですね。信用による他者の回避です。


>Erlkonigさん
>そういうのも恋愛感情だったり性的なものだったりするのでしょうか。
リビドー(性的エネルギーが昇華したもの)はあるんじゃないですか。動物や非生物でもキャラになりうるということでしょう。自動車や鉄道も、人間の顔のようにパーツの組み合わせで個性がでます。
>エロを含む萌えと含まない萌えをそれぞれ定義し新たに名前を付けるとかして、今日からこう呼ぶことにしようみたいな方向
そこで、シンプルな定義を考えていて、エロを含まない萌えが「萌え」で、含む萌えが「(異性の)燃え」とするものです。ただし、「異性の」を正確に言うと、「恋愛可能な対象」です。


>nisemono_san
>純愛の場合は「性」と「愛」が裏表〜「萌え」の場合はさらに「性」と「愛」の切り離し
性と愛の解離ですか。むしろ萌えはその混合物と思っていて、例えば妹のような近親的対象では最初から抱き合わせになっています。

まとめ

ここで、私なりにまとめると、恋・愛・性という三段階があって、恋がイメージ・愛がシンボル・性がリアルに相当します。それで、萌えというのは恋愛から(片想いの)恋を抽象していて、愛の難しさとか性の汚らわしさはありません。一方、エロを含む萌え=異性に対する燃えにおいては、中間の愛を抜きにして、恋と性が直結しています。ここにセカイ系と同じ構造が見え隠れします。


中抜きされたのは社会的他者とのコミュニケーションですが、そこを短絡するために妹や幼馴染のような、最初から好意が約束された近親的対象が用意されます。純愛系と陵辱系の違いというのは、実は愛があるかないかではなく、愛の欠如を埋めるために暴力を用いるか用いないかの違いだと考えます。


現実では恋は個人的なものですが、性は建前としての愛を通じて社会化されます。端的には生殖が祝福されるということです。ですが、萌えにおいては、性があくまでオナニズムに留まるのに対して、恋の対象がネットなどを通じて共有されるという反転現象が興味深いところです。